NPO 家族葬の会 TOP>コラム目次>死に様・生き様:芥川龍之介 この「生き様・死に様」では、みなさんが良くご存知の人物(中にはそれほど有名ではない人物もありますが)の人生の一部を描いています。時にはやや皮肉っぽくお感じになるかもしれませんが、決してそれを意図しているわけではありません。またもちろん、ここでの人物像の描写が、その人たちの業績をいささかも損じるものではない事も申し添えます。 死に様・生き様:芥川龍之介 芥川龍之介〜(1)略歴〜
・明治25年3月1日東京京橋に生まれる。父新原敏三、母ふく 芥川龍之介〜(2)遺書〜 芥川龍之介は昭和2年7月24日35歳のときに、薬物で自殺をしました。遺稿『ある旧友へ送る手記』のなかで、龍之介は自殺の原因を、「僕の場合は唯ぼんやりした不安である」と文学的に表現しています。 しかし、疑問が残ります。 芥川龍之介〜(3)白秋の姦通事件〜 明治45年北原白秋は愛人松下俊子の夫に姦通罪で告訴され、逮捕されます。白秋はその名声を失墜させ、辛酸をなめます。評論家川西政明によれば、秀しげ子と恋愛関係にあった龍之介は、白秋から事件の経緯や白秋のおちいった境遇を詳しく聞き、とても自分には耐えられないと判断し、自殺の前年小穴に「事実顕(あらわ)れて後、事を決するよりも、未然に自決してしまいたい」といいます。 もちろん自殺の原因はほかにもありました。重くなる病、さまざまな問題が起こる生活環境、そして何よりも志賀直哉に対する劣等感に龍之介は苛まれます。しかし、しげ子が大きな比重を持つ原因の一つであったこともまた事実です。 芥川龍之介〜(4)心中〜 龍之介は妻文の友人平松麻素子と昭和2年の4月と5月、2度にわたって帝国ホテルで心中を企てます。2度とも平松麻素子が通報して事なきを得ました。ホテルに駆けつけた文に対して、「(麻素子が)約束を破ったのは死ぬのが怖くなったのだ」と訴える龍之介を、文は「死に急ぐべきではない」ときつく叱り、一人家へ帰ったそうです。 その2ヵ月後、自分自身を含めあらゆることを嫌悪し生き延びる意思を失っていた龍之介は、薬を飲み、妻の横で自殺をはたしました。 芥川龍之介〜(5)葬儀〜 葬儀は、7月27日谷中斎場で行われました。700名を超える会葬者の中、文壇人が次々と弔辞をよみました。泉鏡花のあとに菊池寛が涙ながらに読んだ弔辞です。 「われらは君が死面に平和なる微光の漂へるを見て甚だ安心したり。友よ、安らかに眠れ。・・・ただ悲しきはき君去りて我等が身辺とみに蕭条(しょじょう)(もの寂しいさま)たるを如何せん。」 |
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